真心は胸の中に
恋愛に真心は必要なのかの問いに対してたった一行で答えられる。
「恋は求めるもので、愛は与える物」そうこれが答え。
全てはいつのまにか、定義も境界も曖昧で難しく胸の中にいつのまにか芽生えている
求める恋――恋しい気持ちとは
恋は相手に何かを求めている期待や欲求で、自分が満たされたいという願望です。
どんな人間でも少なからず独占欲、支配欲、所有欲などがあります。
独占
「自分だけを見て欲しい」
「他の異性に会って欲しくない」
支配
「自分の彼氏なら~」
「もっとこうして」
所有
「もっと自分の傍にいて欲しい」
「自分の彼女になって欲しい」
何かをして欲しい気持ち、相手へ強く求める感情は希望的観測。
希望的観測(きぼうてきかんそく、英: wishful thinking)は、信念の一形態であり、証拠や合理性ではなく、「そうあって欲しい」とか「そうだったらいいな」という希望に影響されて判断を行うことをいう。一般に、好ましい結果が好ましくない結果よりもありそうだと予測することを指す。
「希望的観測- Wikipedia」『ウィキペディア日本語版』(Dec. 2013年11月10日 取得 UTC)より引用
相手の行動に一喜一憂して振り回されて、希望的観測だからこそ、恋が実らなければ落胆は大きくなる。
届かないからこそ理想は高く、届いた時の落胆、届かなかった時の絶望は大きい。
与える愛――愛しいとは
恋特有のそういうドキドキ感とか変な感情もなくただ落ち着いていて。
相手に寄せる思いが「~だし」「~だから」となればそれは信頼へ変わった証拠。
何かをしてあげたい気持ちは与える愛となるのです。
辞書的に言えば、“愛しいは相手に一切の見返りを求めない無償の献身的な気持ち、自己犠牲の精神”。
殆どの方が無意識でやっていて、自然と無償奉仕しているものです。
何かをしてあげたい気持ちやどうしたら相手は喜ぶのだろうかと、特に何も考えず、ぽっと考えて行動していればそれは愛なのでしょう。
まとめ
恋から愛の変化には真心は必要です。
ただし、相手に見返りを期待しつつではありません、何かをしてくれるからするのではなく、ただ純粋に相手に何かをしてあげたい、こうしたらもっといいだろうと言う真実の心――それが真心。
相手に対して何かを期待して求め続けるのではなく、相手を信頼して何かをする行動、誠意ある気持ちが愛しい関係になるには必要でしょう。
しかしこれらは殆ど自動的に自然にやっていると思います、熟年夫婦であれば「あれとって」で何をとるのかが通じるようなものです。